院長ブログ

柳色あらたなり

[拙文]

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知人から、かまくら春秋社(伊藤玄二郎代表)「星座」のリレー連載『弘法筆を選ぶ』へ投稿依頼を受けました。文筆で鳴らす方々が、こだわりのものや思い出、一品に寄せる愛情を綴るものらしく、産婦人科医の私が参加するのは如何かとも考えましたが、思いつくままに以下を書き記しました。長文ですが、編集部のご了解のもと転記します。

柳色新たなり

今から四十年以上前、高校生時代には文学青年でもないのに、漢文や古文はよく諳んじていました。「明けぬれば福原の内裏に火をかけて」の平家物語や、「石炭をばはや積み果てつ」で始まる森鴎外の舞姫も得意なものの一つでした。

その後尊敬する鴎外先生も学ばれた東京大学医学部に入学、学生時代は鴎外全集を読み漁るなどの時間もありました。卒業して、当時から多忙で人手不足が叫ばれていた産科婦人科に入局し、出産や手術に明け暮れるうちに、すっかり文学からご無沙汰してしまいました。

医学も日進月歩で、婦人科の世界では腹腔鏡という内視鏡を使った手術が開発され、普及しつつあります。私は専門学会の理事長という立場で、「弘法筆を選ぶ」というわけではありませんが、鉗子や電気メスを選ぶことは日常の業務としているところであります。

今日ご紹介するのは、腹腔鏡のご縁で、中国子宮内膜症サミットという医学系の会議に招かれ子宮内膜症の腹腔鏡治療の講演のため、敦煌を訪れた時の話です。敦煌といえば、井上靖氏の文学作品でよく知られていますが、成田から北京、西安と飛行機を乗り継ぐ遥かな西域です。主催者の方がせっかくの機会だから中国の歴史的史跡である陽関を案内するといってくださったのです。現場主義、現地主義の私としてはこのお申し出を有難くお受けしました。

敦煌からさらに西に沙漠の中を一時間半ほど走ると陽関に到着します。そこには秦や漢の時代の狼煙台等の遺跡が点々とするなか、大きな人物像と石碑をみつけました。近づいてみると人物は王維で、西に向かって両手をひろげていました。石碑には「漢文」の時間で懐かしい「元二の安西に使いするを送る」ではありませんか。つい嬉しくなって撮ってもらったのが左の写真です。

渭城の朝雨 軽塵をうるおし

客舎清清 柳色新たなり

君に勧む更に盡くせ一杯の酒

西の方陽関を出づれば故人無からん

別れの詩として、日本でも有名で産婦人科医の私が皆様に解説するのは失礼でしょう。「陽関三畳」といういわれは、最後の一行を三度繰り返すというのもいうまでもないことです。中国人の案内人も繰り返しを知っていましたから、慣わしそのものが中国伝来なのでしょう。

私の思い出を、お話させて頂ければ、四十年前の埼玉県立熊谷高校の漢文の授業に遡ります。漢文の教師巣山先生は、「西の方陽関を出づれば故人無からん」に続き、「無からん、無からん、故人無からん、西の方陽関を出ずれば故人無からん」と朗々と私たち生徒に詠み聞かせてくれました。古ぼけた木製の教室、教壇、先生の抑揚のきいた表情、同級生の無邪気な反応、すべてが蘇ります。

王維の生きた紀元八世紀を思うと同時に、無限の未来に心を躍らせていた高校生時代、この漢詩にふれた時を思い、感慨深いものがありました。

人生には別離や節目がつきものです。私事ですが、この私も四十年近く学び勤めてきた東京大学医学部を辞して、四月から港区赤坂の山王病院に勤務いたします。惜別の思いは浅くありませんが、新天地では、生殖医療や腹腔鏡下手術で今まで以上に患者さんのために努力しようと思います。このような時に懐かしい「陽関三畳」に出会ったも神の声かもしれません。日々柳色新たなりの清々とした気持ちで生きていきたいと思います。

「星座45号」より転載

2008年04月30日 15:47 [拙文]

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