院長ブログ

玉の緒

[その他]

今朝新聞をみると、「忍ぶ恋を詠んだ式子内親王の歌が新古今和歌集にある」とありました。

「玉の緒よ絶えなば絶えねながらえば

   忍ぶることの弱りもぞする」

新古今和というより、百人一首で親しまれているといったほうがよいかもしれませんね。新聞のコラムでは、「恋」を「情報源」に置き換えて報道のあり方を論じておられました。恋(情報源)が外に表れないうちに、命も絶えるのなら絶えるてくれという論調と理解しました。

ふと思い出したのは、40年以上も前になりますが、熊谷高校の古文の先生は「忍ぶ恋の辛さを耐える位なら、いっそ死んでしまった方がましだということだよ」、「君たちにはまだ理解できないだろうね」と教えてくれたことです。

新聞の編集者の方は「忍ぶる」を外に表れないという意味に解釈されているようで、それで正しいのでしょう。私は、古文の先生の教えで、忍ぶ恋の心の辛さが耐えがたく生きていけないほど切ないものかと思っていました。

同じ百人一首にもある「忍ぶれど色に出にけり我が恋はものや思ふと人の問ふまで」にもあるように、「忍ぶ」は秘匿するという意味に考えるのが自然でしょうから、前者の解釈がただしいのでしょう。いずれにしても、高校時代の自分にタイムスリップしたような時間が味わえて、讀賣新聞に感謝しました。

2009年01月15日 23:50 [その他]

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